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京都・大山崎町と滋賀・湖南市を行ったり来たり生活

手話は手だけじゃなくて全身をつかった表情豊かな言語だった

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手話で「I Love You」の意。高校生のときに知ってから、好きな子に暗に想いを伝えるときにはこれをやろうと妄想だけしてた。ちなみに上の写真は指が一本足らないので「I Love You」にはなってない。

 

6月から毎週通うこと20数回。手話入門講座を無事に卒業することができた。

最初は40名くらいいましたが、卒業できたのは30名だったのでよく頑張ったと自分を褒めてあげたい。

10月には手話検定も受けました。発表は12月末だけど、おそらく受かっているでしょう。


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↑写真は同じ講座に通っていた同世代の市職員さんと、変なライトたち。

 

手話をはじめたのは、いろんな人と話せるようになりたいと思ったのと、高校生のときに挫折していたのでもう一回やってみたかったから。

 

手話を学んでみてわかったのは、手話は言語の1つであることと、手話を使う人たちの表情が豊かすぎるということ。

 

手話は日本語のなかにある方言(関西弁、東北弁)の1つという感覚だったけど、どちらかというと「言語」なのかも。実際、講師(ろう者)の皆さんは、手話は言語だと。

たしかに、伝えたい文章を分解して、手話に変換して、という作業は英語やフランス語に訳すときと同じ作業。1つの手話にいろんな日本語の意味があるのも、外国語訳と似ている。

手話にも方言があって、関東と関西で違うこともあるし、滋賀県湖南市のなかでしか通用しない手話もあるそうだ。

 

手話はその単語から「手」を使う言語なんだけど、「手」だけでは不十分。手や体の動きの大小、強弱、早遅や、顔の表情で「程度」が変わる。ボディランゲージだ。慣れてないぼくは「楽しい」という手話を真顔でやってしまうのだが、それでは「楽しい」に含まれる意味が変わってしまうのだ。

 

20数回やった授業で一番印象的だったのは1回目。テキストを一切見ずに、提示された場面(シーン)を、喋らずに体全身で表現せよ、というスパルタ授業だった。

 

手話で大切なことは、正確さよりも、相手に伝えようとすることと、相手の伝えたいことを理解しようとすること。言語はコミュニケーション手段の1つだから、双方向に気持ちを運ばないと伝わらない。

ホントにろう者の皆さんは表情が豊か。彼らはすばらしい表現者。通勤ラッシュ時の人間と比べると同じ生き物とは思えない。

 


滋賀県大津市にはろう者のかたが経営しているカフェがあるらしい。

壁があるから心がひらく ―ろう者が店主の喫茶店― | NHK ろうを生きる難聴を生きる

こういう場所がたくさんできてほしい。一緒にやりたい。

 

講座は終わってしまったが、これからも手話の勉強は続けていきたい。

 

つい最近、風邪を引いて声が出なくなってしまった。
ここぞと手話をつかって妻さんとコミュニケーションとろうと思ったけど、妻さん手話できないんだった。